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新シリーズの題材として、マルコム・グラッドウェル『天才!』(原題:Outliers)を取り上げることにしました。グラッドウェル氏の著作は話の切り口が面白くて好きなので、『The Tipping Point』を題材の候補の1つに考えてはいたところに、昨年に新著が出ており、近いうちに翻訳も出るという話を耳にして、じゃあそっち!と飛びついた、といったところです。
本書に含まれる誤訳が多いのか少ないのか、私には判断基準となる「相場」が分からないので、そこはなんとも言えません。しかし絶対数で言えば、しばらくネタには困らないぐらいの誤りは見つかりました。比較対照をひととおり終えて、今、順番に記事にまとめているところです。今後、順次紹介していきます。
今回、今までとは違うアプローチを取って、先に原書を読み、そのイメージをベースに訳書と比較対照をしてみました。結論を言えば、先に訳書を読んでいたこれまでと大差なかったです。ただ1点「原文を読んだ時点でこんな意味かなと受け取り、訳でもそれと同じ解釈だったが、日本語で読むとどこか変に感じて、よくよく考えて確かめていくとやはり間違いだった」という、ちょっと不思議な体験がありました。具体的な内容は、その箇所に来れば触れます。忘れていたらすみません。
■『天才!』に見られる誤訳の特徴
本書に見られる誤訳の特徴を大分すると4つに分かれます。
1.数字に弱い
これが最大の特徴です。数字や数量的記述に関する間違いはたくさんあります。
2.much が少々苦手
1.とも関連しますが、翻訳と関係なしに、そもそも数や量の扱いが得意ではないようです。比較級のmore も含みます。
3.危なっかしい
日本語での言い回しを優先させた結果なのでしょうか、許容範囲内のものが大半ではあるんですが、原文の時制や語句の関係などが訳になると違ってしまっていて、比べていて「うーん…」ともやもやしてしまうことがしばしばでした。
このシリーズでは、許容範囲外のもの、すなわち「読み方がおかしい結果、原文の意味内容のずれが(私の判断で)許容できる限度を超えているもの」だけを挙げることにします。
4.ときどき、自分勝手
ストーリーに沿わせてはいるものの、原文に書いていないことを足したり、原文の語句を都合のいいように解釈したりする点が見受けられました。また、日本語として主述のペアが変だったり、そんな言葉あるの?と思わされたりする箇所もありました。
■おことわり
誤解しないでいただきたいのですが、私はここで『天才!』の翻訳が欠陥品だと言いたいわけではありません。むしろ、やるべき作業をきちっとやっている印象を受けました。一部で細かいミスが残ってはいますが、手間をかけるべきところにちゃんと一定の手間がかけられていることがうかがえます。それに、込み入った原文を過不足なくかつ簡潔な文章できれいにさばいてあって「ほぉそうなりますか」と勉強させてもらったところも少なくありません。
ただそれだけに、あと数週間と数10万円を私にでも使ってくれたら、もっと間違いが少なくなったのになーと、残念な思いがするのは確かです。まあ、頼まれてなくても、結局やってしまっているわけですけど。
いいところには目を向けず、悪いところばかりをことさらに取り上げるという、NHKスペシャルの制作スタッフのような姿勢で臨むのがこのブログの基本方針ですので、なにとぞ趣旨をご理解いただきたいと思います。
■訳者について
『天才!』の表紙には「勝間和代=訳」と書かれています。しかし私は、書店で本書を手に取り、適当に開いたページをさっと読んだ瞬間「これは勝間氏が訳したものではない」ことがすぐ分かりました。「勝間和代≠訳」です。具体的な根拠はありません。「なんとなく」です。
おっと、これはグラッドウェル氏の前著『第1感』のテーマでしたね。
原書と突き合わせて比べる過程でも、その印象は強化されこそすれ、覆されることはありませんでした。訳文を作って確定させるという意味では、勝間氏は翻訳作業に一切関わっていないように思います。訳したのは別人でしょう。上に挙げた誤訳の特徴のうち、「危なっかしい」は前半に、「自分勝手」は後半に目立ち、それぞれ反対側ではあまり表れていなかったので、あるいは2人の方が分担されたのかもしれません。このブログではこれまで出版物以外も含めていろいろな訳を取り上げてきましたが、読んでいてここまで訳者と訳文のイメージが一致していないケースは初めてと言っていいほどです。
と、そのように思ってはいますが、訳者氏名の表記をする場合は、額面どおりに勝間氏の名前を挙げておくことにします。
そこを確認する方法は、あると言えばあります。『天才!』には、原書と突き合わせると「なぜそうなっているのか?」が分からない相違点が何箇所かあります。単に該当部分のみを突き合わせただけでは、その理由は分かりません。勝間氏に直接回答を聞ける機会があったとしたら、そこを3つ4つ突っ込んで尋ねてみれば、本人が本当に訳したかどうかはすぐに分かるように思います。原書とは相違がある状態で訳文が確定するまでに、必ず何らかの検討が加えられて「それでいこう」という判断があったはずですから、訳者としてその経緯を話してもらうわけです。
ただ私自身は、勝間氏が本当の訳者であるかを究明することに、大して興味はありません。よって訳者であるか否かがはっきりしそうな“キラークエスチョン”を隠しておく必要もないので、そうした相違点についても順次取り上げて、その謎を解明していきます。それに、実際に誰が訳していようが、間違いは間違いですから。
また、仮に勝間氏本人が訳していないことが明白になったとして、そこを追及することにも興味はありません。名義貸し的な慣習そのものについてだけ、しばらく考えておきます。
■最後にどうでもいい話
新シリーズの開始を記念して、これから「誤訳捜査官」を自称することにしました。単に語呂がいいからです。




